わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。・・・信仰もこれと同じです。行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。

ヤコブの手紙書 2章14~17節

この章についての考察

この手紙に総合タイトルをつけるとするなら、「完全を目指して」という言葉が、最も適しているように思われます。

ある人々は、「人の救いは行いではなく、主イエスを信じる信仰によるものだ」といいます。また、「パウロは恵みの信仰を強調するが、ヤコブは行いを強調するので律法的で嫌いだ」という人もいます。

しかし、ヤコブが強調する「行い」の裏側には、ピッタリと「信仰」が張り付いています。神さまの「御心に適う善い行い」は、信仰によってこそ作られます。このことを逆転させて考えると、「行い」を見ることで、その人の「信仰」が見えることになります。

この手紙を通し、他人や自己による信仰評価ではなく、「ヤコブが見る神の子としての信仰」と「自分の信仰」を併せ、考えてみてください。

聖書日課

「ヤコブの手紙」は、まだ聖書日課では扱われていません。扱われ次第、アップしいていきますので、お楽しみにしていてください。

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