キリスト教プロテスタント教会 東京鵜の木教会

出エジプト記 第39章

39章43節

モーセが、すべての仕事を彼らが、まことに主が命じられたとおりに、したのを見たとき、モーセは彼らを祝福した。

幕屋の建設がついに終わりました。そして、大きな祝福を受け取りました。

神が、シナイ山で幕屋について啓示した時、石の板、契約の箱、ケルビム、燭台…と、内から外側に向けて示しました。しかし、民が実際に制作したのは、幕(36章8節)、あかしの箱(37章1節)、祭司の服(39章1節)と、外側から内に向かいました。

それは、信者の行いは、内(霊)から外(心、体・社会)へですが、未信者は外側の器を通して、内側の神に出会うしかありません。また、信者を通して神に出会うことも教えています。

確かに、神の子たちは第五の福音書でもあり、「キリストの良い香り」(Ⅱコリ2章15~3章4節)です。外側が劣悪で、理不尽すぎると、中にあるものを信用できなくなります。

友よ。私たちも「聖霊の宮」(Ⅰコリ6章19節)です。それは、「主と交われば、一つ霊となる」(同17節)ことで実現しますが、それは、「主が命じられたとおり」従うことがあってのことです。今日も、主が命じられた小さなことに心を留め、聖霊の助けを求めて従い、主の栄光を見てください。

39章40節

主がモーセに命じられたとおり

「主がモーセに命じられたとおり」と、39章と40章には17回繰り返されています。聖書の中で、「命じられたとおり」に生きた人は、主イエス御自身であり、「神は愛です」を貫かれました。

人が罪を犯した後に、「彼(一人の男)は」(創3章15節)「皮の衣(動物犠牲)」(同3章21節)となって人を救うと預言しました。彼は、「処女から生まれ『インマヌエル』」(イザ7章14節)であり、「神の子羊」(ヨハ1章29節)として人として生きた、「大司祭イエス」(ヘブ3章1節)でした。

贖いの子羊イエスは、「自分自身をささげ」(同7章27節)、「血を注ぎ…罪を赦し」(同9章22節)「罪のために永遠のいけにえをささげ」(同10章12節)たので、「私たちは、イエスの血によって、…聖所に入る」(同19節)者とされました。イエス・キリストこそ、御自分がモーセに命じたことを、一点一画もたがわず御自分で成就されたお方です。

出エジプト記の途中から申命記まで、神の執拗さにへきえきし、退屈した友よ。それらの一節一節、一章一章で十字架にかかり苦しむこの人を見上げてください。「この人を見よ…こよなき愛は現れたる…この人こそ、人となりたる活ける神なれ」(讃美歌121)。

ページトップへ