キリスト教プロテスタント教会 東京鵜の木教会

創世記 第36章

36章1節

これはエサウ、すなわちエドムの歴史である。…エサウは、その妻たち、息子、娘たち、その家のすべて、その群れとすべての家畜…全財産を携えて…ほかの地へ行った。

エサウは父と共に生活をしないで、死海の南方エドムで暮らしていました。「創世記」の元来の意は、「系図の書」です。ここにエサウの系図が記されますが、「エサウ、すなわちエドムの歴史(系図)」と言い直していることから、神のメッセージが伝わってきます。

弟ヤコブはイスラエル(神の王子)と呼ばれ、兄エサウはエドム(赤いもの)と呼ばれるようになりました。これはエサウが長子の権利と引き替えに欲しがった赤い煮物に由来します(創25章30節)。さらに、エサウの名の由来は、彼の誕生の時、肌が赤く、毛深かったからでした。「ヤコブがイスラエルに」とは、彼の人生が神に向かったことを示します。一方、「エサウがエドムに」とは、生まれた時の姿(罪人)に戻ったことを示します。

名前は人格(存在)の表現です。人は、親の命名を超え、イスラエルと呼ばれる存在です。産まれたままの存在にとどまってはなりません。人類は、最初のアダムによって罪にくだりましたが、新しいアダム(イエス)によって義(イスラエル)とされ、天国まで引き上げられる存在です(Ⅰコリ15章21~22節参照)。

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