キリスト教プロテスタント教会 東京鵜の木教会

ヨシュア記 第19章

19章1節

二番目のくじで割り当てを受けたのはシメオンで、シメオンの…部族が氏族ごとに割り当てを受けた。その嗣業の土地はユダの人々の嗣業の土地の間にあった。

ヨシュアがシメオン族のためのくじを引いた土地は、ユダ族の嗣業の土地の中に与えられました。聖書地図を見ると、彼らの名は最も南にありますが、境界線は記されていません。彼らの嗣業は、自分の土地であってそうでない、中途半端なものにも見えます。

その確かな理由は分かりませんが、霊的にそのような状態になることは今日のクリスチャンにもあります。神の恵みとしての「神の子であること(嗣業)」を、頭では分かっていても聖霊によって確信できない者や、また、自分が神を信じていることを他者との関係によって受け取る他者依存の信仰者などがそれです。

主イエスと律法学者たちの間に、最も重要な掟についての議論が起こった時、一人の律法学者が「神を愛し、隣人を愛する…」と完璧に答えました。それを聞いた主は、「あなたは神の国から遠くない」(マコ12章28~34節参照)と言いました。これは、「あなたは神の国から遠く離れてはいないが、入ってもいない」とも受け取れます。この律法学者は、頭と他者による信仰者でした。

愛する友よ。神の国は曖昧模糊(あいまいもこ)なものではなく、明確な主イエスの「義と聖と贖い」(Ⅰコリ1章30節)の中にあり、その中にあなたも入れられています。義と聖と贖いが明確にされる分だけ、あなたの嗣業(存在)に確信を持てるものです。

19章9節

シメオンの人々の嗣業の土地はユダの人々の領土の一部であった。ユダの人々への割り当て地が多すぎたため、…ユダの嗣業の土地の中に…受け継いだのである。

ユダ族の土地の中に自分たちの嗣業の地を得たシメオン族。何とも中途半端なようにも見えますが、それでも神の嗣業であることに変わりはありません。

だれもが明確な自覚をもって嗣業を得ているとは限りません。両親、国籍や民族、性別などは、神を信じみことばによって受け取れるものだからです。多くの人はシメオン族のようです。

シメオン族は、ユダ族に分けられた土地が広すぎたので、ユダ族を助けるように神に定められたとも言えます。パウロは、「テモテをそちらに遣わしたのは、…彼は、わたしの愛する子で、主において忠実な者であり、至るところのすべての教会でわたしが教えているとおりに、キリスト・イエスに結ばれたわたしの生き方を、あなたがたに思い起こさせることでしょう」(Ⅰコリ4章17節)と言いました。テモテは、主がパウロにゆだねられた嗣業を十分に果たせるように、パウロに仕えることに自分の嗣業を見つけていたとも言えます。

友よ。自分が補助的立場である場合もあります。しかし、それを主から信仰により受け取るのと、無意識にそうであるのとは大違いです。まさに、「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません」(ヘブ11章6節)とあるとおりです。神から受け取るならば、どんな立場であっても、それが最高の嗣業の地となります。

19章10~16節

三番目のくじではゼブルンが氏族ごとに割り当てを受けた。その嗣業の土地の領域はサリドを中心とし …。

ゼブルン族には地中海とガリラヤ湖の間の内陸地が割り当てられました。この後、聖書にゼブルンの名はほとんど記されていません。

臨終の床でヤコブはゼブルンについて、「ゼブルンは海辺に住む。そこは舟の出入りする港となり、その境はシドンに及ぶ」(創49章13節)と短い言葉で預言したことが記録されています。

ゼブルン族に与えられた嗣業の地は内陸でしたが、「海辺に住む」との預言どおり、彼らは割り当てられた地にとどまりませんでした。彼らが海に出て行ったのは、貧しい山岳地よりも豊かな港町を求めたからと考えられます。この世的には、彼らは賢く世渡り上手な成功者に見えます。

しかし、彼らが得た豊かな土地は、カナン定住後のイスラエルを偶像礼拝に誘い堕落させる地となります。そこに移住したゼブルン族は、イスラエルの十二部族の中で目立たない、やがて消えて行く民となりました。

自分の嗣業に満足できない友よ。ゼブルン族は、神の御心よりも自分の計画を優先させた結果、むしろ災いを選ぶことになりました。ただし、「ただそこで、じっと我慢し続けなさい」と言われているわけではありません。まずは今置かれたところで、信仰の課題を果たすことです。信仰の課題とは神に対する「服従」です。そこにこそ、「御霊の実」が豊かに実ります。

19章17~18節

イサカルは四番目のくじで割り当てを受けた。イサカルの人々は氏族ごとに割り当てを受けた。その領域は、イズレエル、ケスロト、シュネム、

イサカル族はガリラヤ湖の南西、マナセ族の北に嗣業の地を得ました。この地は、北から攻めてくる敵との戦場となったことが何度もありました。

族長ヤコブは、「イサカルは骨太のろば、二つの革袋の間に身を伏せる」(創49章14節)と預言しました。危険地帯では「骨太のろば」のように強くならないと生きていけません。また、「二つの革袋の間に身を伏せる」とは、世の動きを見抜き、争う二つの勢力のどちらが有利かを察し、有利な方にすばやく身を寄せることで生きようとすることです。

しかし、神の子たちの歩みはこのようであってはなりません。それは、神の国とこの世を自分の都合と利益によって行き交うことです。さらに、自分の知恵と力を強め、たくましいろばのように生きようとすることです。「だれでも、二人の主人に仕えることはできない。…あなたがたは、神と富とに仕えることはできない」(マタ6章24節)。聖書にはたくましいろばだけでなく、繋がれたろばも出てきます。このろばは、主イエスをお乗せするために用意されたろばでした(同21章2節)。

友よ。人の強さとは、腕力と知力を用いてこの世で勝利者になることではなく、心と精神(霊)と力(肉体)を尽くして主を愛する(主に仕える)ことです(申6章5節参照)。主に仕えることも嗣業です。

19章23節

以上がイサカルの人々の部族が氏族ごとに受け継いだ嗣業の土地であり、町村である。

族長ヤコブのイサカルへの預言はさらに続いていました。「彼にはその土地が快く、好ましい休息の場となった。彼はそこに背をかがめて荷を担い、苦役の奴隷に身を落とす」(創49章15節)と。

機転をきかせ、強くたくましく生きていたイサカル族には、大きな罠が待っていました。嗣業の地が「休息の場となった」との言葉に、自分の努力や戦いによらず、人々の力を利用して生きる姿が見えてきます。

アブラハムと共にウルから出て来たロトは、自分の努力や信仰によらず伯父の信仰によって受け取った祝福を自分への恵みとしていました。エジプトから帰ってきた後、財産が多すぎるために共に住めなくなった時、ロトはためらわずソドムを選び、そこに移住しました。

ロトの生き方もイサカル族の生き方も、「神」と「この世」、「信仰」と「御利益」、「神を愛する」と「自分を愛する」、これら二つの革袋の間を行き来することでした。しかし結局、ロトはソドムの滅びとともにすべてを失い、イサカルは背をかがめて荷を担う奴隷にされます。最も賢いと思われた道が、最も危険な道になりました。

友よ。主は、「冷たいか熱いか、どちらかであってほしい」(黙3章15節)と言われました。神に反抗するならば、いずれ限界に突き当たり、主に向きを変えることも可能ですが、中間にいる人には悔い改める機会が来ません。アブラハムはただ主を信じて義(神のもの)とされました。

19章24節

五番目のくじではアシェルの人々の部族が氏族ごとに割り当てを受けた。

アシェル族が得た嗣業の地はイスラエル北部の海岸地方でした。そこはやがてツロやフェニキアの貿易港として富み栄える所となります。

経済的に豊かな地域には人間にとってのあらゆる肉的誘惑があります。かつて神はアブラハムを、当時栄えていたカルデアのウルから、何も頼るものがないカナンに導きました。なぜならそこは、人格的に応えてくださる神に依り頼むために必要な場所だったからです。

ヤコブは子孫への預言で、「アシェルには豊かな食物があり、王の食卓に美味を供える」(創49章20節)と言いました。アシェル族は、「豊かな食物」を産出する土地の豊かさにおぼれ、十二部族の中で最も早く異邦人の中に混じり、部族としての形態を失いました。

「王の食卓に美味を供える」とは、神という王にでも自国の王にでもなく、フェニキアやツロなどの他国の王にアシェルが仕える姿を預言したものでした。物質が豊かであることは罪ではありませんが、豊かな生活が目的になると信仰は手段となってしまいます。アシェルは、神にではなくこの世に仕えるようになりました。

友よ。「生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬ」(ロマ14章8節)とは、富める時も貧しい時も、健康な時も病める時も、主のために生き、主のために死ぬことです。主から目を離した結果イスラエルから失われたアシェルのようになってはなりません。

19章32節

ナフタリの人々は六番目のくじで割り当てを受けた。ナフタリの人々はその氏族ごとに割り当てを受けた。

ナフタリ族は、ガリラヤ湖の西側から北の地を受け継ぎました。ヤコブは、「ナフタリは解き放たれた雌鹿、美しい子鹿を産む」(創49章21節)と預言しました。短い一言ですが、子孫への預言の中で、ユダやヨセフへの預言が期待に満ちていたように、ナフタリへの預言も希望に満ちていました。

主イエスが来られる前、この地はローマの支配下にありましたが、「熱心党」とも呼ばれる、メシアを待ち望むグループがここにいました。人として来られた主イエスは、公生涯に入られるまでナザレで育ちました。主の教えと奇跡の多くも、ガリラヤ湖周辺で行われました。主の弟子のペトロとアンデレ、ヨハネやヤコブもこの地域の出身でした。

この地には、まさに「解き放たれた雌鹿」のように、谷川の流れを慕う者たちが絶えていませんでした。ナフタリの土地はエルサレムから一番遠くにあって、「異邦人のガリラヤ」とも呼ばれる辺鄙(へんぴ)な所でしたが、彼らは主を待ち続け、見事に「子鹿を産む」との預言が成就しました。

友よ。次のみことばに心を留めてください。「主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない」(イザ40章31節・新改訳)。「嗣業の地を守る」とは、外敵から守ること以上に、主イエスを待ち望む心を失わないように保つことです。

19章47節

ダンの人々は領地を奪われた後、北上し、レシェムを攻めてこれを占領し、剣をもって住民を撃ち、そこを手に入れて、そこに住んだ。

ダン族の嗣業はベニヤミンの西・海沿いでした。後にペリシテが台頭してきたので、彼らは自分たちの嗣業の地をエフライム山地に探し、武力をもって奪い取ります。さらに、ミカの家の像を奪い、レビ人を勝手に祭司に仕立て、宮を造り礼拝するようになりました(士師17~18章参照)。

ヤコブはダンについて、「ダンは道端の蛇、小道のほとりに潜む蝮。馬のかかとをかむと、乗り手はあおむけに落ちる」(創49章17節)と預言しました。ダンは嗣業の地を自ら探し、自分の手で奪い取りました。それどころか、自分のお気に入りの者を祭司に雇って任命し、神の像までも自分でそろえました。しかし、このような行いが主の御心に適うはずがありません。

ダンは道端に潜んで蛇のように襲いかかり、乗り手を蹴落として他者の嗣業を自分のものにしてしまいました。そしてその馬に自分が乗った(嗣業を得た)のですが、その馬は偶像という神でした。

愛する友よ。このダンは、他者の嗣業を奪って自分の嗣業にする人、すなわち、牧師や組織や教会や親切に面倒を見てくれる兄弟姉妹たちの信仰を自分のものにして、他者の信仰によって神を信じている人に似ています。その人は、偶像という砂の上(岩なる主に直接ではない)に家を建てた人になってしまっています。

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