キリスト教プロテスタント教会 東京鵜の木教会

士師記 第12章

12章7節

エフタは六年間、士師としてイスラエルを裁いた。…エフタは死んで、自分の町ギレアドに葬られた。

読む者に衝撃を与える士師エフタの生涯が閉じました。彼の生涯から学ぶことは何だったでしょうか。

聖書の中に、彼と同じように自分の子を献げた人にアブラハムがいます。しかし、エフタの娘は命を絶たれ、アブラハムの息子イサクはさらに素晴らしい霊の命を持つ者へと変えられました。両者の違いは、「自分の言葉」と「神の言葉」の違いでした。

アブラハムは、「…あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを…焼き尽くす献げ物としてささげなさい」(創22章1~2節)と神の声を聞き、エフタは、「もしあなたが…してくださるなら、…私の家の戸口から私を迎えに出てくる者を…焼き尽くす献げ物とします」(士11章30~31節)と自分が語りました。 エフタは、自分の思いを語りましたが、自分の思いは死なねばなりません。ゆえに主は、誓ってはならないと語られた後、「あなたがたは『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは悪い者から出るのである」(マタ5章33~37節)と言います。

神に従う友よ。聖書は、自分の意見を持つな、というのではありません。だれでも自分を持たねば生きられません。その自分の意見こそ、「神に従う」という意志です。「神の言葉を自分の意見にする」生き方、これこそ信仰であり、神の言葉で生きることです。

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